宮崎アニメ|となりのトトロ徹底解剖!
子供から大人まで愛される、スタジオジブリ作品「となりのトトロ」。
豊かで優しい自然の描写や、サツキとメイの成長していく物語は、2018年(平成30年)で公開から30年が経過しますが、今もなお新鮮な感動を与えてくれます。
制作には名だたるアニメーター達が参加しており、宮﨑駿監督も本作の制作された時期が、自身の創造者的人生のピークだったと語る程です。
童謡として定着した「さんぽ」や、大人気キャラクターのトトロなど、多くの流行を生みました。今回はそんな「となりのトトロ」の制作の裏話など、今まで知らなかった情報まで詳しく紹介していきます。
▼ 目次
“大ヒット”ではなかった「となりのトトロ」
1988年(昭和63年)4月16日に公開された、映画「となりのトトロ」。2018年(平成30年)現在、すでに30年の月日が経過した今もなお、多くのファンによって愛され続ける、スタジオジブリ映画の名作です。
本作は、アニメ映画界の巨匠である宮﨑駿監督の原作・脚本・監督のもと制作・公開。当時、同じスタジオジブリ作品の「火垂るの墓」と共に公開されるという斬新な試みが行なわれ、話題を呼びました。ちなみに、「火垂るの墓」は宮﨑監督の先輩に当たる故・高畑勲監督による制作です。
公開後の興行収入は約11.7億円で、配給収入は約5.9億円。観客動員数は35日間で約80万人という記録でした。同時公開された経緯もあってか、今でこそ大人気の本作ですが、映画自体の収益は宮﨑監督が同じく監督を務めた「風の谷のナウシカ」を大きく下回ります。
また、公開日が春休み後の微妙なタイミングであったため、一番の客層と考えられる親子連れの集客が思った以上に伸びなかったことも、ひとつの理由です。
また、この2作品は同時上映であったことから、興行収入の約11.7億円は2本分の興行収入となり、それぞれ1本の興行収入は、前述の興行収入を半分に割ったものとなります。
当時の邦画のヒットの目安は、興行収入10億円です。それに対して、「となりのトトロ」は「火垂るの墓」との2本立てで、興行収入が約11.7億円ですから、興行成績としては振るいませんでした。
この失敗を取り戻すため、「魔女の宅急便」の制作が始められたと言われています。
しかし、興行的には目標に届かなかったものの、公開同年の映画賞を総ナメ。キネマ旬報の「日本映画ベストテン」第1位をはじめとした、計19以上もの賞を獲得しました。
昔ながらの田舎風景を描いた、自然あふれる舞台
「となりのトトロ」の舞台は、昭和30年代の日本。具体的な年月の言及はありませんが、宮﨑監督は「テレビのなかった時代」だと述べています。
同様に、サツキやメイの住む森や山に囲まれた自然豊かな集落も、どこか特定の場所をイメージした物ではありません。監督が子供の頃から経験した自然の風景すべてを、随所で活かしながら、物語の舞台は描かれました。
ただ、その一方で作品の中に登場する地名には、実際に存在するものが紹介されていたりもします。例えば、サツキとメイ、お父さんが住む場所の地名は「松郷」。これは埼玉県所沢市松郷に由来されており、ネコバスの額に表示される「牛沼」という地名は、松郷に隣接する埼玉県所沢市牛沼がモデルです。
また、物語冒頭の引越しのシーンには「狭山茶」と紙が貼られた箱が映し出されるなど、ファンやメディアの間では、舞台が埼玉県所沢市周辺の「狭山丘陵」なのではないかと憶測を呼んでいます。
この狭山丘陵ではいくつかの地名がモデルとして扱われていることから、1991年(平成3年)より「トトロのふるさと基金委員会」が設立されました。狭山の豊かな自然を守るため「トトロの森」と名付けられ、寄付金による保全活動を続けています。
事務所のある「クロスケの家」は映画に登場する古民家をイメージしており、大きなトトロのマスコットの設置や、家紋にもトトロが使われているなど、工夫がちりばめられた場所です。
宮﨑監督も所沢に住んでいることから何度かこの活動に参加しており、厳密には実際の舞台ではないものの、本作のファンが多く訪れる「となりのトトロ」の聖地として知られています。
物語を魅力的に彩る、登場キャラクター達
本作の大きな魅力のひとつが、登場するキャラクター達にあります。主要な人物は、物語の最初に松郷へ引越ししてくる「サツキ」「メイ」と「お父さん(草壁タツオ)」の三人。草壁家のお母さんは病気を患っており、その療養のため、病院に近い場所へ残りの家族も引越ししてきたわけです。
お母さんが不在の家族を元気付けようとメイの面倒を一生懸命に見ている、長女のサツキ。しっかり者なので、毎朝家族三人分のお弁当を作る姿が映画にも登場しています。またその明るくハツラツとした性格から、引越ししてきたばかりの転校生にもかかわらず、小学校でもすぐに友達ができました。
逆に次女のメイは、まだ4歳のこともあり親に甘えたい盛り。頑固でわがままな性格からお姉ちゃんのサツキをよく困らせます。幼稚園には通っておらず、お父さんの目を盗んで森の中を探検したりする中で、トトロに出会うことができました。
姉妹の名前は、5月の異なる呼び方である「皐月」と「May」が由来。
そして、姉妹のお父さんは東京の大学で考古学を教える非常勤講師です。少しおっちょこちょいな性格ではありますが、姉妹が寂しい思いをしないよう、いつも明るく家族を盛り上げます。
ちなみに、このお父さんの声を担当している糸井重里はコピーライターとして、本作の
「このへんな生きものは、まだ日本にいるのです。たぶん。」
「忘れものを、届けにきました。」
というキャッチコピーも制作しました。
主要キャラクター以外にも、草壁家の引越し先を管理していた「おばあちゃん」は田舎のおばあちゃんの典型的なイメージを体現したかのような姿で描かれています。お父さんのいないときに、サツキとメイの面倒を見てくれる優しい人物。
おばあちゃんの孫息子として登場する「カンタ」は、はじめこそ恥ずかしさから姉妹に冷たく当たりますが、不器用ながらも優しい人柄の少年です。メイがお母さんを探して迷子になったときも、動揺するサツキのために奔走しました。
そして、「となりのトトロ」で忘れてならないのはトトロやネコバス、まっくろくろすけなどの不思議な生き物の存在。トトロという名前は「所沢にいるとなりのオバケ」が由来です。また、その大きな獣のような姿は、宮沢賢治の著作「どんぐりと山猫」に登場する山猫が原型とされています。
宮﨑駿監督を支えたジブリの絵職人
「となりのトトロ」の制作陣の中でも、宮﨑監督の右腕として活躍したのが美術担当の男鹿和雄です。1987年(昭和62年)に監督から直接スカウトされ、スタッフに加わりました。
映画でも印象的な、幹の太い立派なクスノキを描いたのも男鹿です。
監督のスカウト以前にも、美術監督としていくつかのアニメーション作品に携わっていましたが、それらの仕事はどちらかと言うと「少ない日数でどれだけの枚数を仕上げるか」というような流れ作業。
しかし、宮﨑監督のもとでは、物語に登場するキャラクターの性格やすべての要素を鑑みた上で描かれる背景画が求められました。本作での経験は男鹿にとって転機となり、のちのスタジオジブリ作品の多くに、美術監督としてかかわることになります。
宮﨑監督に「緑(色)の使い方に天賦の才がある」と言わしめた男鹿の仕事。そこには彼の優しい人柄が表れています。
例えば、メイがトトロの住み処へ通じる穴を転げ落ちてくるシーンでは、その周辺に多くの雑草や可憐な花が描かれました。意味もなく描くのではなく、男鹿は宮﨑監督のシナリオ通り落ちてきたメイが怪我をしないようにと、やわらかい質感が見て取れる地面と雑草が茂る様子を描写。
たった一場面しか映らない背景ではありますが、そんな小さなこだわりが積み重なって、物語は魅力を増していきます。
さらに、草壁家が暮らす洋風な建物と縁側を備えた和風の平家がくっついた特徴的なデザインの家屋は、男鹿の親戚が実際に群馬県に所有する建物がモデルです。映画の公開により、この建物を真似た家を建てる人が増えた時期もあった程、観る人の記憶に強い印象を残しました。
誰もが知る童謡を生んだ「トトロの音楽」
「となりのトトロ」のオープニングとエンディングを飾る、「さんぽ」と「となりのトトロ(曲名)」は恐らく日本人であればほとんどの人が聞いたことのある名曲です。
本作の音楽を担当したのは、数々の映画音楽に携わってきた作曲家である久石譲。宮﨑監督作品において、1984年(昭和59年)に公開された「風の谷のナウシカ」から2013年(平成25年)公開の「風立ちぬ」まで29年間もの間、音楽を手掛けています。
上記の2曲に関しても久石が作曲を行なっており、「さんぽ」は今や多くの児童が歌った経験のある童謡のひとつとして認知。1997年(平成9年)に全国の未就学児童1,400人程を対象に行なわれた「ぼくのわたしの一番好きな歌」では、人気投票で1位を獲得しています。
「さんぽ」の作詞を担当したのは、絵本「いやいやえん」や「ぐりとぐら」で知られる児童文学作家の中川李枝子。宮﨑監督が直接打診し、作詞を担当することとなりました。
ちなみに、監督は「いやいやえん」の映画化も打診しており、これに関しては中川に断られたことがきっかけで、企画が発展し「崖の上のポニョ」の制作につながったという逸話も残されています。
対して、エンディング曲の「となりのトトロ」を作詞したのは宮﨑監督本人でした。
また、2曲ともに歌唱を担当したのは井上あずみ。スタジオジブリ作品では他に「天空の城ラピュタ」や「魔女の宅急便」の主題歌や挿入歌を担当しました。
「さんぽ」と「となりのトトロ」どちらの曲も、メイが森の中を冒険するようなワクワク感と、トトロに出会ったときの感動を味わうことのできる音楽に仕上がっています。
「となりのトトロ」制作の裏話
「火垂るの墓」との同時上映という試みから、制作の段階で様々な裏話があります。先述したように、高畑監督は宮﨑監督の先輩です。
そのため、宮﨑監督は制作段階から高畑監督の作品が気になって仕方がなく、スタジオジブリのプロデューサーである鈴木敏夫に、何度も「火垂るの墓」の進行状況を尋ねました。
そのときに物語の内容を聞いた宮﨑監督は「文芸作品じゃないか」と驚き、自身の子供向け作品と比較されては敵わないと一度ペンを置いてしまいそうになってしまったことがあります。
また、当初どちらも60分程の上映時間を予定していましたが、高畑監督が88分まで長くなったと聞くや否や、宮﨑監督も20分長くすると決断。
結果的に、主人公を女の子ひとりから、2人の姉妹に変更すれば時間を延ばすことができるということになり、このときに初めて「となりのトトロ」はサツキとメイが登場する姉妹の物語となりました。
ちなみに、「火垂るの墓」との重複を防ぐために、トマトと蛍の描写も一切登場しません。
制作スタッフを選ぶ際には、両者の右腕として活躍していた近藤喜文をめぐって争奪戦が繰り広げられたという逸話もあります。
近藤は「耳をすませば」の監督を務めたことでも知られており、70年代より両監督を支える優秀なアニメーターでした。
「ジブリの陰の立役者」とも言われています。
今なお映画界に燦然と輝き続ける「となりのトトロ」という作品
公開から年月が経ってもなお多くの人に愛されている「となりのトトロ」。
その証拠のひとつが、テレビ放送時の視聴率の高さです。今や夏の風物詩と言っても過言ではない程、1998年(平成10年)から2年おきに、6~8月を中心に放映されている本作。
1989年(平成元年)~2016年(平成28年)の間では、計15回が放送されましたが、その内の10回で視聴率20%を超えています。その中でも1990年(平成2年)の放送回は最高視聴率を記録しており、プレゼント企画には全国から200万通以上の応募がありました。
さらには、2001年(平成13年)に発売されたDVDが、オリコンDVDチャートで史上初の通算600週目のランクインを達成。このランキングにおいては、通算ランクイン週数の上位5位を宮﨑監督作品が独占しています。
また、世界的にも高く評価を受けており、2009年(平成21年)に英Time Out London誌が発表した「アニメ映画オールタイムトップ50」では第1位を獲得。
ピクサー映画「トイ・ストーリー3」では劇中にトトロのぬいぐるみがカメオ出演していたり、同じく「カーズ/クロスロード」では、監督自ら、森のシーンで質感や匂いまで感じられそうなトトロの描写をかなり意識したりと述べています。
アニメーション技術で実績があり、続々と新しい作品が生まれる日本。その中でも、30年経った今もなお「となりのトトロ」は、絶大な人気を持ち続けています。
※この記事は、2018年5月時点の情報に基づいて作成されています。
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