冬の旧伊藤邸
夏の時期に一度伺った事がある越後随一の豪農の遺構を先日訪ねてきました。冬の時期に行くのは滅多にない事でしたので、皆さんにもお伝えします。
新潟駅からレンタカーで約30分程で、阿賀野川のほとりにある「沢海」(そうみ)という地域に着きます。ここに江戸時代に始まった豪農の屋敷が博物館として建っています。当主は代々「文吉」、苗字は2代目から「伊藤」を名乗り「伊藤文吉」が8代まで続いていました。8代目に子供がいなかったことで文吉という名は8代目で途絶えることとなりました。
冬の旧伊藤邸は雪の中にありました。駐車場は正門側と西門側の2箇所あるのですが、この時期は正門のみの入場となっていました。水がまかれ雪のない駐車場でした。門からの受付までの長い敷地を歩き800円を支払っての入場です。さすがに1万坪を超える広さがあるので、個人の家とは思えない広さです。初代文吉は6畳2間と台所から始まったそうですが、東京ドーム300個分の敷地となれば想像を絶しますね。(失礼しました。これは所有土地の広さですね。)
屋敷の入り口は当時は手帳場、茶の間、台所と続く土間であったようでした。
建物に入ると畳の冷たさに足が痺れるほどです。大きくは3棟に分かれていて(主屋棟、大広間棟、三楽亭)、その他に蔵、常盤荘と呼ばれる離れ屋敷がありました。冬の屋敷内は私たちだけでしたので、余計にその静寂と逆に温もりを感じつつ見学する事ができました。
そもそもなぜこのような豪農になったかを前回知らずに帰ってきた反省から、今回はじっくりと解説を読みながらまわりました。5代目文吉が明治20年(135年前)に建てたものだそうですが、2代目から始まった藍染の販売、雑穀、質屋、倉庫業など徐々に業態を増やしその頃には百姓をやめていたようです。戦後には7代目の尽力で解体を免れ、日本で第一号となる私立博物館として当時の生活様式をそのまま残す遺構として現在に至っています。
今回冬の訪問でしたが、次は是非とも春に行きたいと思っています。理由は、空一面を覆い尽くす「大藤」が花を咲かせるからです。それはそれは美しく壮大で訪れた人の心を奪ってしまうものだそうです。次の訪問を固く心に決め帰路につきました。