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「地域の患者さんを、地域で治療し、
支え続けていける病院でありたい」
今回インタビューを受けていただいたのは、医療法人明世社 白井病院の白井義人理事長と、眼科医師・宇野敏彦院長です。白井病院は、香川県西部の三豊市(みとよし)にあり、人口約6万人の閑静な街で、地域の眼科医療の要として眼科専門医による外来診察をはじめ年間2,000件以上の手術を実施しています。「あるべき地域医療とは何か」を模索し、病院経営に反映する白井義人理事長と、高度な眼科専門医療を展開する宇野敏彦院長に、現在の取り組みと未来に向けた新たな展開についてお話を伺いました。

白井理事長 私には兄と弟がいまして、どちらも医師を目指して大学は医学部に入りました。2人が医師になるなら私は別の道を歩もうと、大学卒業後、医療とは無縁の看板装飾材料の製造販売を手掛ける会社でサラリーマンになったのです。
ところが、病院を継ぐはずだった兄が医学生のときに山岳事故で亡くなり、医師になった弟は眼科を選ばず救急科専門医に。そのため初代理事長を務めた父の他界後は、眼科医でもある母が2代目理事長を引き継ぎましたが、病院経営というものが苦手な母は、スタッフに経営にかかわる業務を任せっきりにしていました。
このままでは病院の存続が危ういと感じたのか、「病院経営を任せたい」と私に連絡をしてきたのです。それがきっかけで1995年(平成7年)に東京から地元(香川県三豊市)に戻って病院経営に携わり、常務理事を経て2012年(平成24年)に理事長となりました。

白井理事長 白井家は、江戸時代中期から丸亀藩(現在の香川県丸亀市)藩主のお抱え医師を務めていました。江戸時代の長崎への遊学(ゆうがく:故郷を離れ、他の土地へ行って勉強すること)では、白井家から3名の医師を送り出していたようです。
それからも医師の家系が続き、1887年(明治20年)に眼科・外科を診療科とする病院を現在の三豊市に開業しています。そして1922年(大正11年)に白井病院として許可を受け、その後、法人化し、現在の医療法人明世社 白井病院となりました。当時は眼科の他、外科・内科の領域にも携わっていましたが、その後、現在の単独眼科病院へと移行しています。
実は、明治時代あたりまでの歴史を知ったのは、当院に戻った30歳の頃でした。それも、身内からではなく、郷土史研究家の先生から教えてもらい、初めてわが家のルーツを知ったのです。父も母も、子ども達に家系の話をしたことは一切ありませんでした。恐らく、自分の家が代々続く医師の家系だと知ると「思い上がったうぬぼれ屋」になってしまうので、それを避けるために内緒にしていたのだと思います。母は、それくらい子どものしつけに厳しい人でしたから。

白井理事長 当初は経営を立て直すことが私の使命だったので、「患者さんを増やすためには眼科医療で新しい方向性を打ち出していく必要がある」と考えていました。
その頃、川崎医科大学附属病院から医師を派遣していただいていたので、担当する教授に相談してみると、「私は斜視弱視(しゃしじゃくし:物を見るときに、両目が同じ方向を見ていない傾向があること)を専門とする治療に取り組んでいる」と話をしてくださったのです。分野別に特化した眼科医療があることをそこで知り、分野別の外来に取り組んでいこうと、まずは教授に当院で斜視弱視を専門に診ていただけるようお願いして実現しました。それが当院での仕事のスタートでしたね。

宇野院長 白井病院は、もともと前任の病院(愛媛大学医学部附属病院 眼科)の関連病院でした。大学では診療の他、医師の派遣など人事業務も担当していたため、白井病院と連絡を取り合ったり、非常勤で外来診療に伺ったりすることも。そのたびに白井病院のアットホームな雰囲気に魅力を感じていました。この病院で、臨床(外来や手術など)の仕事を続けたいという思いが芽生え、白井病院への赴任を自ら申し出たというのがきっかけです。
実際に携わってみると、外から見て感じていた通りの病院でした。院長と言っても大きな病院とは異なり、他の医師と共に外来や手術を行っています。管理業務などもしていますが、特に一番大変な労務関係は白井理事長や病院スタッフが大部分を担ってくれていますので、医療に情熱を傾けたい私にとっては非常にありがたい環境です。

白井理事長 ひとりの医師が広く全般を診るのではなく、「角膜」、「網膜」、「緑内障」、「斜視・弱視」といった領域ごとの専門医が担当し、外来受診から手術、入院(40床)まで、すべて院内で一元的に対応するところではないでしょうか。
その体制を常に維持できるよう、香川大学医学部附属病院、愛媛大学医学部附属病院、川崎医科大学附属病院より専門医を派遣していただいていますし、検査機器においても大学病院の設備に引けを取らない最新の物をそろえ、高度な専門医療をしっかり行える体制を整えています。
こうして身近な地域で高度医療を受けることができれば、治療のために遠方の大学病院まで行く必要がないわけです。なかには感染症を患い重症化している患者さんもいて、大学病院に送ることがありますが、重症ではない患者さんは、地元の西讃地域(せいさんちいき:香川県西部)はもとより、当地からほど近い愛媛県東部、徳島県西部などから当院に通院される患者さんも相当数います。それが専門医療になると、当院の医療圏はさらに広がり、香川県の中部や高松などの東部からも通院される患者さんがいらっしゃいますね。
宇野院長 私は「角膜」を専門としていますが、眼の診察を通して他の病気を疑うこともしばしばあります。糖尿病などもそうですが、脳神経的な病気がもとで見えにくくなることもありますので、患者さんのかかりつけ医に連絡してお知らせしたり、場合によっては連携先である三豊市内の中核病院(複数の診療科と高度な医療機器を備え、地域医療の拠点となる病院)や、愛媛大学医学部附属病院、香川大学医学部附属病院、川崎医科大学附属病院などを紹介したりして、早期発見・早期治療をサポートすることも。そうした様々な医療ネットワーク体制が機能していることも当院の魅力のひとつだと思います。

宇野院長 私が赴任するずっと以前から、当院が三豊市内の幼稚園、小中学校、高校の眼科校医を担当し、検診と併せて学校関係者の皆さんからの相談に対応しています。
検診で気になるのは、小学校低学年の近視が急速に増えていることです。ゲームの影響もありますし、コロナ禍で外遊びが減ったことも要因と言われていますから、学校を訪問した際には、20分以上近くの物を見続けないとか、外遊びをするなどで近視を予防し、進行を抑制することを推奨しています。
小さなお子さんの近視は進行が早いですから、当院では近視を抑制する目薬での治療やオルソケラトロジーというハード・コンタクトレンズを夜中にはめて近視矯正をする治療などに取り組んでいるところです。

白井理事長 2027~2028年(令和9~10年)に、長年救急医療に携わってきた弟が当院に戻ることになり、それを機に、眼科に加え内科、外科、救急科を併設し、二次救急医療までを担う病院へと生まれ変わる計画を進めています。
その背景には、当地における救急医療の課題があるからです。西讃地域において二次救急以上を担える病院は2ヵ所ありますが、そもそも医師不足地域と言われる当地での救急専門医の不足は深刻で、専門外の医師が当番で対応することも少なくありません。結果として、患者さんが病院に救急搬送されても治療ができず、西讃から他の地域の医療機関へ搬送されることが多くなっています。
そんな地域医療の課題を解決するためには、弟がこれまで3つの病院で築き上げた実績やネットワークが必要と考え「そろそろ帰ってこないか」と話してみると、「これまでの経験を生まれ育った地域に役立てたい」と快諾してもらえました。
すでに医師の採用活動は進んでおり、各分野の救急科専門医の他、脳外科、整形外科、循環器内科などの専門医の方々から内諾をいただいています。その医師チームの中で一番経験のある弟には、若い医師の育成に取り組み、この地域からひとりでも多くの救急医を輩出してもらいたいと期待しています。
病院名・役職はインタビュー当時のものです。
インタビュー:2024年9月3日
| 1984年 |
医療法人明世社 理事就任 |
|---|---|
| 1989年 |
日本大学法学部 新聞学科卒業 |
| 1992年 |
株式会社中川ケミカル 入社 |
| 1996年 |
有限会社白井コンタクトレンズ研究所 代表取締役就任 |
| 1997年 |
医療法人明世社 常務理事就任 |
| 2012年 |
医療法人明世社 理事長就任 |
| 1988年 |
大阪大学医学部 卒業 |
|---|---|
| 1990年 |
住友病院 眼科 |
| 1992年 |
愛媛大学医学部 眼科 |
| 1994年 |
ハーバード大学 眼科(米国・ボストン) |
| 1997年 |
愛媛大学医学部 眼科 |
| 2004年 |
愛媛大学医学部 眼科 助教授 |
| 2009年 |
松山赤十字病院 眼科 部長 |
| 2010年 |
愛媛大学医学部 眼科 准教授 |
| 2011年 |
愛媛大学医学部附属病院 病院教授 |
| 2013年 |
医療法人明世社 白井病院 院長 |
| 【専門医等】 |
愛媛大学医学部 臨床教授、香川大学医学部 臨床教授 |
|---|---|
| 【所属学会】 |
日本眼感染症学会評議員、香川アイバンク理事、日本眼科学会、日本眼科医会、日本角膜学会、日本眼科手術学会、日本コンタクトレンズ学会等 |