人気の病院・名医紹介Interview

身近なかかりつけ医として、
地域の健康を守り続けます

高井整形外科・
眼科医院
高井秀典・豊子先生

今回インタビューを受けて頂いたドクターは、岐阜県高山市の高井整形外科・眼科医院の整形外科医師・高井秀典院長(以下、高井院長と記載)と、眼科医師の高井豊子先生(以下、豊子先生と記載)です。
ふたりは岐阜大学医学部在学中に出会い、卒業後に結婚。共に勤務医として研鑽を積み、1983年(昭和58年)に高井院長の郷里、高山市で開業して以来、二人三脚で地域医療に貢献してきました。
医療ニーズが高い、整形外科と眼科の身近な医院として、地域の信頼は厚く、ふたりの気さくな人柄も慕われています。陽気で息の合った両ドクターに、高井整形外科・眼科医院の歩みと、これからを伺いました。

高井整形外科・眼科医院の施設情報

おふたりが医師を志したきっかけを伺いたいです。

おふたりが医師を志したきっかけを伺いたいです。

高井院長 私は高山市の生まれで、中学2年生のときに父親を心臓病で亡くしました。それまでの私は、のんびりした子でしたが、これからは母親がひとりで私や妹達を育ててくれるのだから、将来のことを考えなければいけないと思ったんです。

そんなとき、父は生前も何度か具合を悪くして、夜中に病院で診察してもらったことがあったという話を聞いて、自分も病気の人を助けられる医師を目指そうと思いました。

豊子先生 私は名古屋市出身で、理数系の科目が好きだったので、数学を専攻したいと思っていましたが、当時は理系学部を卒業した女性の職場が限られていました。それで、卒業後の職業につながる医学部を受験したんです。

ただ、卒業して間もなく結婚し、子どもが生まれましたから、家庭生活と診療をどちらも続けるのは難しいと感じた時期もありました。けれども、勤務医時代に家庭を持つ女性医師の先輩方に巡り合い、眼科医療のやりがいも教えてもらったことで、仕事を続けてこられたと思います。

勤務医時代の貴重な経験のエピソードはありますか。

勤務医時代の貴重な経験のエピソードはありますか。

高井院長 岐阜大学での研修を終えて、1974年(昭和49年)に、ふたりで滋賀県の彦根市立病院に勤務しました。当時は車社会化が進んだ頃でしたから交通事故が多く、整形外科にはケガをされた方が頻繁に搬送されてきて、とても忙しかったです。この時期に多くの診療と手術を経験したことで、整形外科医師として鍛えられましたね。

豊子先生 彦根市立病院では、医学生時代の勉強とは違う、実際の診療を学ばせてもらいました。その後、開業して、経験のない症例を診療することになったとき、何かとアドバイスして下さったのも、彦根時代に出会った眼科の先生方です。

当時は若かったですから聞くことを恥ずかしいと思わず、よく先生方に電話して指導を仰いでいました。今思えばリモートワークの先駆けですね(笑)。

高山市で開業することになったいきさつをお聞かせ下さい。

高山市で開業することになったいきさつをお聞かせ下さい。

高井院長 彦根市立病院から高山市に帰り、夫婦で高山赤十字病院に3年間、勤務しました。この時期に感じたのが、安心で安全な地域医療を維持するためには「病診連携」、つまり、入院・手術の設備を持つ病院と、外来診療に対応する開業医の連携が大切だということです。

そういう訳で、1983年(昭和58年)に、この場所で整形外科医院を開業し、翌年、眼科医院を併設しました。それまで、この地域には整形外科医院がなく、眼科医院は1軒だけだったのです。

それ以来、受診される患者さんの症状と、その程度により、当院で通院治療を続けて頂くのが良いか、病院に紹介する必要があるのかを判断しながら診療してきました。

豊子先生 開業するまでは、家庭を持ちながら当直や緊急診療のある勤務医を続けるのは難しいと感じていました。

その点、開業すれば時間の融通が利いて、子育てと診療を両立できるだろうと思ったのですが、実際に開業してみると予想以上に忙しかったですね。開業当初の休診日は日曜日だけで、土曜日の午後も診療していました。

それほど患者さんが多かったということですね。

それほど患者さんが多かったということですね。

高井院長 高齢になると腰や膝に痛みが出て整形外科に通院したり、白内障で眼科を受診したりする機会が増えますし、若い世代は部活動で故障して来院します。

それに高山市は山間部なので農林業従事者が多く、この方たちが長年の重作業と加齢のために起きる疾患に悩まされるケースや、ウィンタースポーツ、雪の日の転倒で外傷を負う方も多いです。そうした地域性による医療ニーズが高かったと思います。

豊子先生 私は、ふたりの息子の母親として学校の行事に参加することもありましたし、子どもは、よく病気やケガをしますよね。ですから大変な時期もありましたけれど、日曜日は必ず子ども達と一緒に食事をして、よくスキーやハイキングに連れていきました。

私が忙しくても息子ふたりが無事に成長したのは、主人のお母さんが手伝ってくれたことと、私自身も疲れてしまわないように完璧を目指さずにやってきたからだと思います(笑)。

そういう経験をしてきたので、家庭を持つ女性スタッフと分かり合えますし、彼女達が働きやすいように気を配ってきました。
家庭の都合で休んだり、早く帰ったりしなければならないときは、スタッフ同士が「お互いさま」という考えで助け合いながら、長く勤務してくれている人が多いですね。

患者さんと接する際に心がけていることをお聞かせ下さい。

患者さんと接する際に心がけていることをお聞かせ下さい。

高井院長 患者さんの話をよく聞くことと、患者さんにも私の説明をよく聞いてもらい、自分のケガや病気を理解して頂くことです。痛みは辛いですが、その原因と現状を説明し、今後の治療と回復の予想をお話しして、患者さんの不安を和らげ、安心して治療を受けて頂きます。また、症状によっては即時に救急車をお願いして、手術や入院に対応できる医療機関に紹介することもあります。

豊子先生 小学生や中学生の近視が多く、その進行が速くなっていることが気がかりなので、近視予防の大切さを説明しなければいけないと思っています。

現代の暮らしをしながら近視にならないのは難しいですが、今の子ども達が近視になる原因は、主にスマートフォンやタブレットの画面を長く見ていることです。これは本を読むよりも目に与えるインパクトが強く、目にストレスがかかります。

そして、知って頂きたいのは、近視が強い人は高齢になったとき、緑内障などの眼底疾患の発症率が高いことです。そういうリスクがありますから、近視になったとしても、強い近視に進行しないように、パソコンやゲームとのほど良い付き合い方を啓発していきたいと思います。

今後の展望や患者さんへのメッセージを頂けますか。

今後の展望や患者さんへのメッセージを頂けますか。

豊子先生 眼科医師の次男が当院の副院長になり、白内障の手術を手がけるようになりました。手術そのものにかかる時間は数分で、術後はしばらく休んで頂きますが、入院の必要はありません。この手術は、高齢化するこの地域で、これから需要が高まる眼科医療ですから、次の世代が担ってくれるのは嬉しいことです。

高井院長 後継者にバトンを渡せることになりましたから、今後も地域のみなさんの健康を守る医療機関であり続けます。そして、整形外科の医師として、患者さんや地域のみなさんにお伝えしたいのは、身体が動くうちは、身体と相談しながら動いて下さいということです。

特に、適度な農作業は生活習慣病の予防につながるし、足腰が丈夫になります。一緒に頑張りましょう。

病院名・役職はインタビュー当時のものです。

経歴

1974年

岐阜大学医学部卒業

1974年

岐阜大学医学部附属病院 整形外科、眼科

1976年

彦根市立病院 整形外科、眼科

1980年

高山赤十字病院 整形外科、眼科

1983年

高井整形外科院 開院

1984年

高井眼科医院 開院

2014年

高井秀典院長が高山市医師会会長就任。1期2年を務める

2020年

高井祐輔医師が副院長に就任