写真撮影の基礎知識 初心者編

カメラの歴史を知ろう!

カメラ・写真の歴史②

カメラは、今や家庭に必ず1台はある機器と言っても過言ではない機器ですが、かつては本体が非常に大きく、写真とは写真館で撮影をするものと認識されていた時代もありました。

その後徐々に小型化し、カメラが家庭用機器として発売されるようになって以来カメラは著しい進展を見せ、より軽く、より便利に、より美しく、と様々なメーカーが競い合って研究を重ねています。今回はロールフィルムの登場から、主に国内における現在までの歴史を解説します。

誰もが写真を撮れる時代へ

誰もが写真を撮れる時代へ

1885年(明治18年)、カメラの歴史において重大な転機を迎えます。それは、アメリカの発明家、ジョージ・イーストマンによる「ロールフィルム」の発明です。

それまでのカメラは大きな本体と重いガラス乾板を持ち歩く必要がありましたが、このロールフィルムの開発によりカメラの構造も一変し、小型化が進むこととなります。そして1888年(明治21年)、イーストマンは「ザ・コダック」を発売。これは従来のカメラのコンセプトとは全く異なり、写真術を知らない人でも簡単に撮影ができるという、カメラ界においてまさに革命のような商品でした。

「あなたはボタンを押すだけ、あとはコダックが全部やります」との触れ込みの通り、ユーザーはあらかじめ100ショット分のフィルムが充填されたカメラを購入し、撮り終えたらカメラごとコダックに送ると、現像された写真と新たなフィルムがセットされたカメラが届けられるという仕組み。

イーストマンは、その後1892年(明治25年)に「イーストマン・コダック社」を設立、さらに他社のカメラに合わせたロールフィルムを製品化してフィルムメーカーとしても大きく発展していきます。

日本におけるカメラの歴史

このように古くは主に欧米で発展を遂げてきたカメラですが、ここで国内でのカメラの歴史をご紹介します。

日本への伝播

オランダ船によって日本にカメラが伝わったのは、1843年(天保14年)のことでした。日本人が撮影した最古の写真は、1857年(安政4年)に薩摩藩の第11代藩主である島津斉彬公の銀板写真と言われており、現在は尚古集成館に所蔵されています。

当時使用されていた感光板は銀板であり専門の技術を要したため、写真術を学んだ人々が各地に当時「写場」と呼ばれた写真館を開き、幕末の志士や著名人の貴重な記録を残すこととなりました。

国産カメラの開発
国産カメラの開発

1903年(明治36年)、東京・麹町の小西本店(現コニカミノルタ)から国産で初めて商品名のついたカメラ「チェリー手提暗函」が発売され、その後も「パール」シリーズやイーストマン社の「ベスト・ポケット・コダック」を模した「パーレット」シリーズなど戦争時代に突入するまでの間に、一般から上級者向けの数多くのカメラが開発されました。

終戦、そして日本のカメラが世界へ

戦前から世界的な光学メーカーが集中し、ほぼカメラ産業を独占状態であったドイツに対し、第二次世界大戦後に現れた強力なライバルが日本でした。

戦争中は日本軍の光学機器を開発・製造していた各光学メーカーが技術を集結し、カメラ産業に乗り込みました。中でも日本光学工業(現ニコン)が、現在でも高い評価を得ている一眼レフカメラの名機「F」を開発し、世界に日本のカメラメーカーの存在を知らしめる大きなきっかけとなったのです。

以来、日本のカメラメーカーは世界的にカメラ文化を牽引し続けています。

当時の国内の主な光学メーカー
  • 日本光学工業(現ニコン)
  • 東京光学機械(現トプコン)
  • 高千穂光学工業(現オリンパス)
  • 東京芝浦電気(現東芝)
  • 榎本光学精機(現富士フイルム)
  • 富岡光学器械製作所(現京セラオプティック)

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今、私たちが使っているカメラがいつ生まれ、どのように発展してきたのかを知って、さらに楽しく写真撮影をしましょう!
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